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韓国はこれまで何度もワールドカップに出場してきましたが、前にいくつ勝ったことがあったでしょうか。
2002年ワールドカップの日本は、初出場のフランス大会でいくつ勝ったでしょうか。
答えはゼロです。
二つの固とも一度もアウェーの大会で勝ったことはないのです。
まだそれほどの経験がないにもかかわらず、アジア地区では厳しいマークを受けて戦わなくてはならないのです。
日本サッカーはこれまで、自分たちを先行する国々を追いかけ、追いつこうと努力してきました。
しかし、日本は追いかけられる存在になってしまったのです。
誤解を恐れずにいい切ってしまえば、ドイツ大会でベスト回以上に入るよりも、を勝ち抜くほうが難しいと私は考えています。
逆に、アジア予選さえ勝ち抜ければ、日本代表はドイツ大会でベスト回以上に進むことができるでしょう。
この試練を乗り切るには、日本代表はアウェlの試合を経験しなければならないと思っています。
逆境を経験し、それを乗り越えることで選手たちは成熟しなければなりません。
日本も韓国も、ドイツ大会に出場して、勝つことができれば、ワールドカップにおけるアウェーでの初勝利です。
その重みをもう一度しっかりと認識しなければなりません。
監督の経験が少ない私が、そうした重責を担うことに対して不安視する声があったことは聞いています。
確かに私はこれまで監督をきちんと引き受けたことはありませんでした。
しかし、監督という職を恐れていたわけではありません。
鹿島アントラlズ、CFZどで私は実際に指揮をとってきていました。
1998年のフランス大会では、テクニカルディレクターとしてブラジル代表に参加しました。
テクニカルディレクターというのは、チーム全体、ピッチ外の細部のことまで心を砕かなくてはならない仕事でした。
そうした職務の他に、私には実はもう一つ役割がありました。
現在の代表チlムでは、複数のスタッフで監営委員会を結成することが一般的になっています。
必要最小限のスタッフは、監督、助監督、フィジカルコーチ、ゴールキーパーコーチですが、世界のサッカーの流れはもっと細分しているのです。
錦年フランス大会のオランダ代表は、監督の下に、それぞれポジションごとの経験があり信頼のおける、アシスタントコーチを置いていました。
ゴールキーパーコーチはもちろんですが、ディフェンスにロナルド・クーマン、中盤にフランク・ライカールト、フォワードにヨハン・ニースケンス。
彼らからの助言を基に、監督のヒデインクが最終的に決断を下していたのです。
私も、ブラジル代表のフォワードのアシスタントコlチの役割を求められていました。
ところが、こうしたアシスタントコーチが次の代表監督を狙っているのではないか、と根も葉もない噂が流れ、結局機能しませんでした。
クラブチームと代表チームの監督では職務が違います。
私は、代表チームという監督委員会を置かなければならないような状況を知っているという強みがあると考えています。
そして、代表チームでやらなければならないサッカーを知っています。
せ私は、常々、結果重視のサッカーを批判してきました。
前線に数人の攻める選手だけを残して、後は全員で守るというサッカーです。
ブラジルには「芸術サッカー」という伝統があります。
パスを繋いで、美しく勝つサッカーつの理想型が、回年のブラジル代表でした。
です。
あのブラジル代表は、間違いなく大会のベストチームでした。
しかし、ベストチームが必ず優勝するわけではないのです。
あの時の選手たちは、各試合で美しく勝つという、理想を追いかけすぎて、負けたらそこで終わってしまうという意識が希薄だったと、今振り返れば思うのです。
監督となった今、ワールドカップ予選のように厳しい戦いの場合、引き分けが必要だということは理解しています。
つまりワールドカップの出場権を得るために、必要ならば時に守りのサッカーをすることも必要だと考えています。
予選の規定の中で、次に進んでいくことこそ、代表チームに求められていることなのですから。
日本サッカーがさらなる前進をするためには、次々と才能ある若い選手が育ってこなければなりません。
7歳から、日歳、日本でいえば小学生、中学生の時間というのは非常に大事な時です。
この年齢で基本的なテクニックを身につけなければなりません。
基本的なテクニックを身につけ、身体が大きくなった時、体力を身につけ、戦術を理解できれば、もはや一人前の選手です。
この世代で一番重要なのは、指導者の選択です。
ニの年代では、年齢によって教えることが変わってきます。
身体の成長具合によって、学ぶことが違うのです。
子供の年齢で、何を教えるべきかを知っている指導者につくことが重要です。
私が子供たちを教える場合は、まず質問します。
「あなたのポジションは?」「フォワード」そして、さらに尋ねます。
「どの選手が一番好き?」「ロナウド」私は、子供に手本となる選手のピデオを繰り返し見なさいと教えます。
ロナウドがどんな動きをしているのか、頭の中に覚え込むのです。
思えば私の小さな頃もそうでした。
当時のリオ・デ・ジヤネイロというのは、あらゆるところに空き地があり、週末ともなると草サッカーの大会が行なわれていました。
草サッカーとはいえ、中には素晴らしい技術を持っている人がおり、私は彼らのプレーを食い入るように見たものです。
私が一番観察したのは、兄たちのプレーでした。
私は兄のプレーを見て、真似をすることでサッカーを覚えていったのです。
現在、日本はもちろんですが、私の生まれ育ったリオ・デ・ジヤネイロでさえ、空き地はなくなり、そうした機会は減っています。
ジーコ・サッカーセンターを作ったのはまさにその理由によってでした。
しかし、反対に私の頃はなかったビデオというものがあり、それを使えば世界のトッププレーヤーのプレーを繰り返し観察することができるのです。
フォワードならば、ロナウドがいるでしょうし、右サイドパックならばカフー。
日本にだってお手本はいます。
センターパックになりたい子供は秋田の動きをじっくりと見ることです。
見て学ぶこと、そして、いい指導者を見つけることができれば、子供は必ず伸びていきます。
一つだけ気をつけてほしいことがあります。
サッカーを重荷にすることだけはやめてください。
ボールを蹴ることは喜びです。
サッカーは楽しいスポーツなのです。
私が日本で現役を引退したのは1994年のこと。
その後、ブラジルに戻りました。
長年の夢でもあった、プロジェクトに取りかかるためでした。
私の夢とは、自分を育ててくれたサッカーに恩返しすること。
日本、そして世界の子供たちにサッカーの素晴らしきを伝えることです。
当初ブラジル、「ノーヴァ・ジエラソン(英語でニュー・ジェネレーション)」プロジェクトと呼んでいたこの計画は、以前から私が自分の人生をかけてやりたいと考えていたものでした。
「ジーコ・サッカーセンター」、この施設が「ノーヴァ・ジエラソン」プロジェクトの中心になります。
ブラジルの私の故郷であるリオ・デ・ジヤネイロのセントロ(中心地)から必キロ、例年の叩月から工事が始まりました。
私の自宅から車で叩分の所にあるパンデイラス区で、この施設がオープンしたのは、何年の1月初日のこと。
多くの友人に祝福されて完成しました。
この日はリオの創立記念日でもあります。
当初は2面の練習グラウンドだけでしたが、現在ではアントゥネス・スタジアムの他、芝生のグラウンドが3面、人工芝のグラウンドが1面、ピーチサッカーのできる砂のグラウンドを一面備えています。
このサッカーセンターには二つの目的があります。
アント?ネス・スタジアムを本拠地としたサッカーチlムを運営することです。
一つは、チームの名前はプロジェクトの名前をとって「ノlヴァ・ジェラソン」と名付けていたのですが、現在は「CFZ リオ・デ・ジヤネイロ」という名前になっています。
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